叙情小曲集

ブログのコメントにお返事を書いていて、
「そいえば、叙情小曲集っていろいろあったな」
と思い。

エドヴァルド・ハーゲループ・グリーグ
抒情小品集 Lyric Pieces

抒情と叙情しらべるとおもしろい。ほぼ同一の言葉。

ギロック 叙情小曲集
おなじみギロックはん。有名な曲集。

室生犀星 叙情小曲集
オチをつけたかったわけじゃないだす。曲、なのか?
青空文庫。

 

叙情(抒情)
リリック、と英語では言うらしい(伝聞)
作り手の内面や感情を表現した物をlyric、叙情詩と訳されてること多いけど、曲にもあてはめるのでしょうな、たぶん。

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読書からはなれてゆく

kindle

すっかり本を読まなくなってしまいました。
まだ若くて、体力も今よりはあったころ(当然、気力もある)には、毎日毎日むさぼるように読みふけっていたもので、図書館に通う日々が続いていたこともあったり、時間がたりないー、とわめいていたことすらも、今では夢のようです。

何に対して時間を割り振るかというのは結構あたまを悩ませつづける問題で、年をとってもいまだにその辺の管理がちゃんと出来ないままで終わるんだろうなあ、と思ってます。

読まなくなったのは、単純に、読みたいと思える本に書店で会わなくなったのが一番大きいかなあ。
そもそも、街の中に書店自体が壊滅状態になっているし。
ほんの数年前までは、歩いていける場所にあったのに。
今じゃ最寄り駅前の書店も一店舗のみ。
あそこがなくなったらどうすべーーー。

せめて隙間時間に何か、と、青空文庫アプリを放り込んで、チマチマ読んだりはしてるけど、電子書籍の場合は読書と呼ぶのかどうか。何か違う気もするけど。
先週は、片岡義男さんの「七月の水玉」を読みました。
若い頃にいくつか短編読んでで、あー、なんかページが白い印象の文体だよなーとか失礼な感想を持ってました。すみませぬ。読みやすいです。登場人物の女性のしゃべる言葉がていねいなのは、時代ゆえ、なのだろうか……

ジョゼと虎と魚たち

毎年毎年、年末年始は体調を崩しているのに今回はおだやかに過ごしているなあと考えているところへ、まさかの急激な寒波襲来で。
毎度お馴染み、風邪と喘息のコンボでへたばってます。今はやや復調。

喘息持ちの人は、「風邪をひかないように気をつけてくださいね」「発作は予防しましょう」「インフルエンザに(ry」とまあ、いろいろふだんから釘はさされていて、当人もそれなりに気をつけているつもりでいても

駄目な時は駄目です(キッパリ)

やっちまう時は急激に悪化するので、もう仕方がないよね。
ね。
正直 これ以上何を気をつけろと……

つーわけで家でゴロゴロしてます。
気温がもすこしあがったら買い物にちょろっと出るよ。徒歩五分。

ころがっている合間に読んだ本。


ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

読みふける、という体調の時ではなく。
うつらうつらしながらでも読んでいけるときに田辺聖子短編はありがたいのです。
短編ならとぎれとぎれであっても続けて読んでいくことが可能なのですわ。
長編でなくても大変な短編もあったりするけど、でもまあ。

標題作ほか何本か収められてます。
確か映画かなんかにもなってたよね>ジョゼと虎と魚たち

ジョゼ(くみ子)は、フランソワーズ・サガンの「一年ののち」に感化されて
「ジョゼ、呼ばな返事せえへんよ。これから」
という、エエエエな呼び名を恒夫(暴走する彼女の車椅子を助ける男)に要求します。返事せんてなんやねん。
なんという中二びょ(ごほごほ)

「一年ののち」の題名自体も、作中に出てくるラシーヌの「ベレニス」からつけられていて、新潮社の朝吹登水子訳で大昔に読んだ記憶があるのですが、流れ去っていく年月を哀れむこともなくただ、時が流れていった、それを静かに受け止めていく、そんな小説だったように記憶しています。つーか何十年前だよ読んだの。もうあんまり内容を覚えてないよう。

一年ののち 二年ののち われら再びあいまみえん
だったかなー。やっぱりあんまり覚えてないや。